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差し出されたクローバーを、私は―――受け入れられなかった。 散々、みんなの幸せを踏みにじってきたのだから。 例え生まれ変わったとしても、私はもう―――。 行く宛ても無く、ただただ、歩き続けた。 止まってしまえば楽になれる。けれど、それでは都合が良すぎる。 私の事など誰も許してはくれないのだから。 ―――あの子を除いては――― もう何時間経つのだろう。 私の目の前は暗闇その物だった。 どうしていいか、わからないのだから。 〝楽になりたい〟 一瞬、私はふいに足を止めてしまった。 「やっと止まってくれたね」 「…」 「座ろ?」 「…」 丘の上。 今思えば、何かに導かれていたような気がする。 私はまだ―――目を見る事は出来なかった。 「これはね、本当に幸せを願ってる人しか見付ける事が出来ないんだよ」 「―――無理。私は…受け取れない」 「頑固だね…せつな」 「もう―――終わりに…」 「イヤだ!絶対イヤだ!!!」 大粒の涙が零れていた。 どうして? どうしてそんなに私を――― 本当は―――望んでいた 例え、卑怯と言われようと 私は彼女を―――ラブを愛してしまったのだから 私の色に染めたかった 私だけの物にしたかった でも。 私は何かが足りなかった。 悪魔にはなりきれなかった。 ラブ…。 私も…人間なの。 「もうみんなの所へ帰って」 「やだ」 「お願い」 「そんな事…出来ない…」 彼女を見ていると、本当に居た堪れなくなった。 自分の過ちもそう。全てを後悔した。 もう一度やり直せるのなら。 私は全てを投げ打って、彼女と―――幸せになりたい 「ご両親が心配してるわ。だから、お願い」 「せつな…。約束して」 「えっ?」 「もうどこにも行かないって。あたしを悲しませないって」 「ラブ…」 「わかった」 精一杯の返事だった。正直、私は自信が無かったから。 例えこの先、もう二度と会えなくなっても。 この一瞬が私には、最高の幸せだったのだから。 ラブは偽りの無い瞳と言葉で―――私を包んでくれたのだから。 あなたの瞳が好き あなたの笑顔が好き あなたの声が好き あなたの姿は眩しすぎて あなたの事が本当に――― ラブ、ごめんなさい いつも正直になれなくて 本当に…ごめんなさい ~END~
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~月曜日~ 美「やっほーブッキー、ん?それ何編んでるの?」 祈「美希ちゃん!…あ、あのね、マフラーなの」 美「自分の?それとも誰かの?」 祈「その、えっとぉ…プレゼント用…かな」 美「そっかー。綺麗な蒼色ね。こんなの貰える人、うらやましいな」 祈「そうかな…」 ~水曜日~ ラ「あれ~ブッキー、何してるの?」 祈「ラ、ラブちゃん…ちょっと編物なんかしてて」 ラ「うわ~上手だよ~可愛いピンク色!ねぇねぇコレ誰の?」 祈「プレゼント用なの」 ラ「いいな~あたしも欲しいな~」 祈「えへへ…」 ~金曜日~ せ「ブッキー、それなあに?」 祈「せ、せつなちゃん…えと、編物っていって、この針で毛糸をこうすると、色んなものが作れるの」 せ「ふぅん、初めて見たわ。毛糸っていうのね。綺麗な赤…。何を作ってるの?」 祈「マフラーよ」 せ「こんな毛糸からマフラーが出来るなんて!編物ってすごいのね…。ねぇブッキー、今度わたしにも教えてくれない?」 祈「もちろんいいわよ!」 せ「ところでコレは誰のマフラーなの?」 祈「プ、プレゼント用よ」 せ「そう。こんなの誰かに上げられるなんて素敵ね」 祈「ありがとう…」 ~そして日曜日~ 祈「みんな、コレ私からのプレゼント」 美「あら!この蒼いマフラー、アタシのだったの?嬉しいー」 ラ「ワハー!ピンクのマフラーゲットだよ!超可愛い~」 せ「真っ赤なマフラー、素敵…」 祈「それぞれにクローバーのモチーフが編みつけてあるの」 美ラせ「ありがとうブッキー!」 祈「どういたしまして!」 美「ゴニョゴニョ…お礼はやっぱコレよね…」 ラ「それしかない!」 せ「みんなで一斉に?…わかったわ」 美ラせ「せーの!ちゅっ」 祈「きゃ!…みんなありがとう~」 せ「ブッキーったら、わたしのマフラーみたいに顔真っ赤よ」 ラ「ホントだ!ゆでダコみたいだね!」 美「ちょっとラブ!それはNGワードよ!」 祈「アハハハッ…」 美「ところで、ブッキーの分はないの?」 祈「毛糸は準備してあるんだけど、みんなの分だけで手一杯だったの」 せ「じゃあそのマフラーはわたしに編ませて」 ラ「せつな、編物なんて出来たっけ?」 せ「いいえ、でも今度ブッキーに教えて貰う約束してるの。そうよねブッキー?」 ラ「じゃああたしも編物する~」 美「もうラブったら!ふふ」 祈「私、みんなに会えて良かった!」
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とある日の放課後の、クローバータウンの通学路。 アスファルトに静かに響くローファーの靴音とともに、爽やかな秋風の中をひとりの少女が歩いていた。肩にかかる艶やかな黒髪と、柔らかな眼差し。穏やかな表情からは、今の彼女の心情が透けて見えるよう。 色づき始めた並木道がやけに眩しく映るから、いつもよりゆっくりと歩いては、次々と目に飛び込んでくる秋の風景を楽しんでいた、そんな時。 ふと、どこからともなく甘い薫りの風が流れて、彼女の鼻孔をくすぐって、消えた。 匂いに気づいた少女は、脚を止めて周りを見渡してみる。 「この匂いは……?」 匂いの元を探り当てようとした矢先、後ろから少女を呼ぶ声がした。 「せつなちゃん!」 「あ、ブッキー」 ブッキーと呼ばれた少女・山吹祈里が、数メートル先にいた黒髪の少女・東せつなに追いつき、隣に並ぶ。 ふんわりとした柔らかな栗色の髪。優しい顔立ちと、丸みを帯びた身体つき。その背丈はせつなより少しだけ小さく、見る者に可憐な印象を与える。いつも付けているトレードマークの緑色のリボンが、今日もよく似合っていた。 「偶然ね。今帰り?」 「そうよ。ブッキーもでしょ?」 「うん。ふふっ。なんか嬉しいな」 「何が嬉しいの?」 「だって、約束もしてないのにせつなちゃんに会えたんだもん」 「あ……ありがとう」 「どういたしまして」 躊躇することなく放たれる祈里の言葉に、せつなは顔を赤らめた。そんな彼女の反応を、祈里は楽しそうに眺めた。 「あ、ちょうど良かったわ。今ね、ブッキーに教えてほしいことがあって」 「わたし? いいわよ。わたしでお役に立つなら何なりと」 「あ、ほらまた、この匂い……。どこから来てるのかしら?」 せつなが不思議そうに辺りを見渡す。 「そっか。この匂いのこと知りたいのね。せつなちゃん、こっち」 祈里は、そんなせつなの手を引っ張って、少し離れた木立まで連れて行った。 そこには、オレンジ色の小花を一面に咲かせている木が、真っ直ぐにすっくと伸びていた。 「あ……さっきよりも香りがうんと強くなったわ。この花からしてるのね」 「金木犀、よ」 「キンモクセイっていうの……いい香り。見た感じも可愛いけど、名前も可愛いのね」 「わたしも大好きなんだ。秋にしか咲かないの」 「なんだか、この花……ブッキーに似てるわね」 「え? わたし? どんなところが?」 「色もそうだけど、ちっちゃくて、可愛くて、いい匂いのするところが」 せつなの言葉が、祈里の頬をほんのり紅く染めた。 「せつなちゃん、それ、褒めてる?」 「もちろんよ」 「に、匂いは、美希ちゃんにもらったアロマをいつも付けてるからだし、ち、ちっちゃいのは……生まれつきだし……」 「可愛いのは?」 「し、知らないっ」 「ごめんなさい。ブッキー、怒らないで」 ちょっとだけむくれたふり。恥ずかくて、嬉しくて、やっぱり恥ずかしくて。 心配そうに覗き込んでくるせつなの視線は、かえって祈里の羞恥心を助長させていくようだった。 「ねえ、ブッキーったら」 「……怒ってないよ」 「ホントに?」 「うん。恥ずかしかっただけ」 「良かった」 にこっとはにかむせつなの笑顔。見つめながら祈里は思う。ああ、わたし、この顔に弱いなあ。 「けど、ブッキーのおかげで匂いの正体がわかって、何だかすっきりしたわ。ありがとう」 「どういたしまして。わたしも褒めてもらえちゃったし、得しちゃった。――――ところで、今日はラブちゃんは?」 「ああ、ラブなら……」 「補習?」 祈里が継いだ言葉に、せつなは声を立てて笑った。それはまさに、せつなの言おうとした言葉だったから。 「よくわかるのね」 「そりゃあ、幼なじみだもん」 「幼なじみ、か……。何かいいわね、そういうの」 「けどわたし、せつなちゃんのことだってよくわかるよ」 「あら、私は幼なじみじゃないわよ?」 「幼なじみじゃなくても、親友、でしょ?」 祈里は、隣に立つせつなの腕を取り、優しく組んだ。 「親、友……?」 「そうよ、親友。とっても仲のいい友達のことよ。幼なじみにだって、負けないくらい仲良しなんだから!」 「私とブッキーは……親友?」 「もちろん!」 真っ直ぐに見つめる祈里の瞳の力強さに、せつなはほんの少し気圧される。 そんなせつなの指に、安心させるように自らの指を優しく絡めて、祈里は言った。 「幼なじみもいいけど、親友だってなかなかいいと思わない?」 「親友、か……。いいわね、それも」 「うん。いいよね、すごーく」 「うん。すごーく」 ふたりは顔を見合わせて、ふふっと笑う。そんなふたりの鼻先を、金木犀の香りを乗せた柔らかな風が撫でていく。 「せつなちゃん、今、カオルちゃんのドーナツ食べたいんでしょ?」 「ど、どうしてわかるの?!」 「だって、親友だもん」 余りにも近づき過ぎて、せつなのお腹の虫の鳴き声が聞こえてしまったことは、祈里の心の中にそっとしまわれた。 「行こ?今日はわたしがおごるね」 「悪いわよ」 「いいの。だって記念日だもん」 「何の記念日?」 「親友記念日」 秋風の中を、腕を絡めたふたりの少女が歩き出す。 今日の学校での出来事や、昨日の夕食のメニュー。何でもないことを話しながら、せつなは心に誓う。このひと時の幸せをしっかりと胸に焼き付けておこうと。 ずっと後になってもくっきりと思い出せるように。大好きな親友との時間を、決して忘れないように。 新-481へ
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お父さんは仕事、お母さんはパート。 台風による警報が出たために、あたしとせつなは休校。 昼間なのにすごく暗くて、夕方みたい。 風が窓をガタゴト震わせている。 ガタン。 突如大きな音がした。 何かが家の外壁に当たったのだろうか。 あたしは思わずせつなにしがみつく。 「怖いの?ラブ」 せつなは優しくたずねる。 「ごめん、怖いワケじゃないけど何となく…」 せつなは薄く微笑みをたたえ、あたしを抱きしめる。 「台風っていいものね」 「なんで?せつなは怖くないの?」 「だってラブとこうしてると、まるで世界中に誰もいなくて、私たちふたりっきりみたい」 「せつな…」 あたし達は、どちらからともなく顔を近づけ、くちづけた。
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あれから、どう走ったのか覚えていない。ただ、人目を避けたかった。誰も居ない場所に行きたかった。 力尽きた少女は、身体を投げ出すように草むらに大の字に寝転がる。 そこだけは、季節などまるで関係ないとでもいうように、一面の緑が広がっていた。 少女は知らないことだが、それはシロツメクサと呼ばれる品種の野草だった。クローバーの名で親しまれ、街の名称の由来ともなっている。 花ではなくて、むしろ葉こそが愛される、一年中枯れることのない多年草。 少女はそのうちの何本かを乱暴に引き抜き、しばらくの間じっと見つめて――やがて投げ捨てた。 パラパラと落ちていく、何本かのクローバー。 呼吸の落ち着いた少女は、上体だけを起こし、膝を抱えるように座り込む。 なんとなく――落ち着いて何かを考えるなら、小さくなった方がいいような気がしたからだった。 「メビウス様は、コンピューターだっただと? 管理国家ラビリンスは打倒されただと? そんなこと、信じられるものか……」 逃避してきた現実に目を向ける。いや――まだ事実と認めたわけではない。 だけど、何度否定したところで、そう考えれば辻褄の合うことばかりだった。何より、あの部屋の女が、嘘を言っているようには思えなかった。 「帰れば、わかることだ。だけど、どうすれば帰ることができる? どうやって来たのかもわからないのに……」 そして帰ったところで、それが事実であったなら――ラビリンスにも、もう自分の居場所はないのだ。 「全てはメビウス様のために。そう思って生きてきた。それが無くなれば、わたしの命に何の意味がある……」 答えなど、とっくに出ていた。 ラビリンスの国民は――メビウス様のために生きて、メビウス様のために死ぬ。 お役に立つために生まれ、お役に立てるように鍛えて、お役に立てる間だけ――生きていることを許されるのだ。 「ただ、それだけのことなのに……。なのに、なぜ私の心は――こんなにも苦しいのか?」 思い出すのは、差し伸べてくれた少年の手。ボールを蹴って走る爽快感と、シュートが決まったときの―― みんなの――歓声と笑顔。 「ばかばかしい。それを打ち砕いたのも、わたしではないか……」 口に残る、芳しい香り。甘くて、まろやかな味わい。しょっぱくて、サクサクした軽やかな食感。 お菓子と呼ばれる、効率など全く考えない、栄養価なんて無視した不思議な食料。 生命を維持し、血液に適切な栄養を送り込み、理想的な肉体を育むための配給食とは、全く違った目的から生まれた食べ物。 「もう一度、遊びたい。もう一度、口にしてみたい。だけど――それは叶わない……」 だって、ここは自分の世界ではないのだから―― 『たいへん! せつなが消えちゃった!? ~子供の頃のクリスマス~(転の章)』 ジャリッっと、後ろから微かな音が聞こえてきて、少女は思索を打ち切った。 やわらかい土としなやかな草。その二つに音を殺されていることを計算に入れても、十分に軽い体重の持ち主。 人数は一人。殺気は無し。危険性は薄いが、明確にこちらを意識して近づく者。少女はわずかに警戒しつつも、気が付いてない風を装った。 「やっぱり、ここだったのね」 「お前は?」 まるで見知った顔のように親しげに話しかけてきたのは、桃色のゆったりとした服を着た中年の女性だった。 故郷のラビリンスの人々のような無表情ではなく、この街で見てきた笑顔ともまた違う。柔らかい表情と雰囲気を纏う女性だった。 言葉だけは知っている、「優しい」という表現の似合う人なのだろう。 女性は少女の横に座り、真っ直ぐに前を見て、まるで自分に言い聞かせるように続ける。 「ラブから聞いてるわよ。あなた、せっちゃんの従姉妹なんですってね。せっちゃんは急用でラビリンスに行っちゃったから、帰るまで家で預かってほしいって」 「ラブ……あの、髪を括った女のことか? ヤツはなぜそんなデタラメを話す? わたしに従姉妹はいないし、わたしはあの女に暴力を振るったんだぞ?」 女性は少し驚いた表情を浮かべた後、小さく微笑んだ。 「そうだったの。わたしもね、ラブが嘘を付いてることはわかってるのよ。母親だものね。それで、あなたはラブにちゃんと謝ったの?」 「なぜ、謝らなければならない?」 「悪いことをしたら、謝るものでしょ? 事情は知らないけど、暴力はいけないことよ」 「悪いことをしたら、捕らえられて処分される。謝るとはなんだ? 許しを乞うくらいなら、規律を守るか、その必要がないくらい強くなればいい」 少女とて、謝るという概念を知らないわけではない ただ、少女が知る限り、「許す」という権限を持つのは全世界でメビウスただ一人だけであり、他の者に詫びる必要など見当たらなかった。 女性は寂しそうに首を振る。 「それは違うわ。謝るということは、自分の間違いを認めて反省することよ。そして、その気持ちを相手に伝えることなの」 「許してもらえなくてもいいのか?」 「結果的に許してもらえて、仲直りできたら一番いいのだけど。謝ることの目的は、許しを得ることじゃないわ」 「それはもう聞いた。自分の間違いを反省しろと言うのだろう?」 「それもあるけど、それだけじゃないの。謝るとはね――」 女性が、少女の顔を覗き込む。そして、穏やかな瞳で、少女の目をじっと見つめる。 まるで、心まで見透かすように―― 「謝るってのはね、自分を許すことよ」 そう言って、女性は少女に向かって、今度こそ優しく微笑んだのだった。 少女は言葉の意味を理解できず、かと言って問い返す気にもなれず、ただ――女性を不思議そうに見つめ返す。 意味は自分で考えろ、とでも言うつもりだろうか? その人は、それ以上は何も口にしなかった。 「さあ、帰りましょう!」 女性は立ち上がり、ごく自然な動作で少女に手を差し伸べる。少女は、その手をじっと見つめた。 手とは、自分の身を守るための武器。必要としている物を掴み取るための手段。 メビウス様のために奪い、メビウス様に献上するための道具。それ以外の使い道なんて、考えたこともなかった。 でも、これで何度目だろうか? お菓子を差し出した手。ボールを差し出した手。そして、助け起こそうとする手。 なにも、不快など抱かない。不思議と、警戒心が沸いてこない。 心地よくて、嬉しくて――それらの手が、まるで少女の心を掴もうとしているかのようだった。 「帰るって……なんだ? 行ってやってもいいが――あそこはわたしの家じゃない」 「そうね、どうしてかしらね? なんとなく、そう言いたくなったのよ」 少女がためらっても、女性は手を引っ込めたりせず、目をそらすこともなかった。 「名前……。まだ、お前の名前を聞いてない。わたしはイース」 女性は、また一瞬だけ驚いた顔をした。 そして、再び優しく微笑みかけて、自分の名前を口にした。 「わたしの名前はあゆみ。桃園あゆみよ。よろしくね、イースちゃん」 少女は観念し、あゆみと名乗る女性の手をおずおずとつかんだ。 その手のひらは、とてもやわらかくて……。そして、とてもあたたかかった。 あゆみと名乗る女性は、結局、家に帰り着くまでずっと手を離さなかった。 腕を掴まれたことなら何度かあったが、手を握られたのは初めてだった。拘束とはまるで違う、ふわふわとした不思議な感覚だった。 「着いたわよ、イースちゃん」 「知っている。初めて通る道でも、座標として覚えてるから一人でも来れた」 「すごいのね」 そう言って、ドアを開けるためにようやくあゆみは手を離す。少女には、それがひどく惜しく感じられた。 家の奥の方から、バタバタと駆け寄る足音が聞こえてくる。ラブという女に違いないだろう。 あゆみが帰り際に携帯通信機で、「イースちゃんを見つけたから、先に帰っていなさい」と話していたのを聞いていた。 「せ……――ううん、イース! それに、おかあさん。おかえりなさい!」 「ただいま、ラブ」 「……った」 「えっ?」 ラブは先ほどのことなど無かったかのように、満面の笑みを浮かべて二人を出迎える。 少女は何かを口にしようとして、また口ごもる。 しばらく逡巡した後、今度はハッキリと大きな声で言った。 「きっきは、手を上げて悪かった。ここが監禁するための施設じゃないことくらいはわかる。すまなかった……」 「そういう時は、ごめんなさい、でいいのよ。イースちゃん」 「ごめんなさい……」 ラブは笑顔のまま瞳を潤ませて、そのまま少女に抱きついた。 ちょっと苦しかったけど、とても心地よくて――しばらくの間、ずっとそうしていたのだった。 「で……これは一体なんだ?」 「これはね、折り紙って言うんだよ」 ラブに連れて来られたのは、せつなという者が住んでいた部屋だった。その者が若返る前の自分だという話は、いま一つピンとこない。 もちろんラビリンスの科学力をもってすれば、一時的になら可能だとは思うのだが……。 彼女は自分の部屋から持ってきたらしい、カラフルな色紙を広げる。何度か往復して、他にもさまざまな道具を運んできた。 「それはわかってる! そう書いてあるんだから、わたしでも読める。そうじゃなくて、これで何をするのかと聞いている!」 「クリスマスツリーとか、クリスマスリースを作るの。明日は美希たんやブッキーも誘ってパーティするつもりだったんだけど、あなたを探しにみんな走り回ってて、準備遅れちゃったから」 「……いいだろう。わたしに責任があるなら、取らせてもらう。教えろ」 「うん、まずは簡単なリースからね。これは平面だから、こうやって、こう折って、それから……」 「ふんふん」 「で、これで出来上がりだよ!」 その後も、ラブはビーズを使った飾りや、レースペーパーのオーナメントなどを次々に作っていく。 少女の呑み込みは流石に早く、二つ目にはラブに追いつき、三つ目には追い越す有様だった。クリスマスの飾りができたら、リビングを中心に飾り付けを行う。 それらの作業は、夕食が用意できるまで数時間にも及んだ。 「それでは、召し上がれ」 「うん、いただこう」 「わは~っ、いっただきま~す!」 「いただき……ます」 自信満々といった感じのあゆみ。料理はラブも得意らしいが、今日はクリスマスの飾り付けが忙しくて手伝えなかったとボヤいていた。 もっとも、ほとんど全てのメニューにおいて、ラブはあゆみには敵わないらしかった。 それ以前に少女には、料理を自分で作るという習慣がまず驚きであった。ラビリンスでは料理は機械が作るものであり、時間になると運ばれてくるものだったからだ。 「ほっちはね、デミグラスソースのハンバーグシチュー。ハンバーグはあたしが下ごしらえしたの。あれはサーモンのソテー。あっちはー」 「ラブ! 説明はいいけど、ちゃんと飲み込んでからにしなさい。お行儀が悪い」 「たはは、ごめんなさーい」 ニコニコしながら謝るラブを、少女は不思議そうに見つめる。叱られているのに、どうして笑っていられるのだろうか? あゆみも、本気で怒っているわけではなさそうだった。やっぱり嬉しそうにしていた。 これも、自分の故郷では考えられないことだった。失敗は即、自分の生死に関わる。メビウスに必要ないと判断されてしまったら、そこでその者の命は終わるのだ。 「イースちゃんも、遠慮せずにどんどん食べてね。口に合わなかったら、味付けし直すから言ってね」 「ううん……どれも美味しい。こんな料理は食べたことがない」 「こんなので驚いてたら、明日はビックリするよ。クリスマスパーティーの食事はもっと豪勢なんだから!」 「こんなので悪かったわね、ラブ?」 「たはは、失言でした……」 ラブはまた、ごめんなさいと言って楽しそうに笑う。自分を気遣いながら見せる笑顔に、チクリと胸が痛んだ。 その理由もわからないまま、なぜか不安だけが募っていく。少女は話題を変えることにした。 「クリスマスパーティーと言ったな? さっきから何度も聞いたが、クリスマスとはなんだ?」 「まあ、ラブったら、そんなことも教えずにお手伝いさせてたの?」 「あっ、ごめんね。クリスマスってのは――」 白いトリミングのある赤い服を着て、先の尖った赤いキャップを被っている、長い白髪と白いヒゲをたくわえた笑顔の老人。クリスマスの前の夜に、良い子の元へプレゼントを持って訪れるとされている伝説の人物。 しかし、容姿は必ずしもこの通りではなく、大男だったり、女性だったりすることもあるらしい。ソリを引くトナカイも、一匹だったり、九匹だったりとバラバラだ。 たかがパラレルの一つと言えど、世界は広い。あるいは複数のサンタクロースが存在するのかもしれなかった。 「この世界には、そんな者が居るのか……」 天空を駆け、世界中を巡り、子供にプレゼントを配る謎の人物。そんな者が本当に存在するなら、自分の願いも叶えてもらえるかもしれない。 そして、少女には既に心当たりがあった。 「今日の昼間、それらしき男と会った。サンタクロースかどうかはわからないが、間違いなく只者ではなかった」 「ええ~っ! だって、サンタは!」 「ラブッ!」 「あっ、その、どこで会ったの?」 「この家の前の大通りの、お菓子を置いてある店の前だ。ヤツならば、どんな力を隠していても不思議じゃない」 「それはどこかのアルバイト――アイタタタ。いや、サンタクロースがイースちゃんをよく知ろうと、見てたのかもしれないね」 圭太郎という、この家の主が口を挟む。なぜか顔を真っ赤にして咳払いしていた。 「わたしを知る? そうか、いい子じゃなければサンタクロースは現れないんだったな。だったら、わたしは不合格だろう……」 「そんなことないよっ!」 「そんなことないわ、イースちゃん。必ず、サンタクロースはあなたの元にやってくるから」 「そうだな、僕もそう思う」 「それは――楽しみだ」 少女は、年齢にあるまじき大人びた笑みを浮かべる。それは、あきらかに何かを企んでいる顔だった。 新2-479へ
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「ごちそうさま。今日も美味しかった!」 山吹家の夕ご飯。 豪勢なご馳走が、次々と平らげられていく。主に巨漢のお父さんによってだけど……。 本当に美味しかった。一口食べただけで、自然と笑みがこぼれおちる。 綺麗で、優しくて、そして、とってもお料理が上手。 わたしは、そんなお母さんが大好き。 三人ぽっちの家族だけど、この料理の腕前のおかげか、食卓はいつも賑やかだった。 何度かダイエットに挑戦してことごとく失敗したお父さんも、お母さんの料理が一番の大敵だと笑っていた。 好きこそものの上手なれ。 楽しそうに調理するお母さんを見て育ったわたしは、それ以外のお手伝いで助ける方法を選んだ。 おかげで裁縫の腕なんかは、見る見る上達していった。 でも、たまには―――― 食後のお祈りを済ませて、後片付けを手伝おうとする。 そんなわたしの申し出を、お母さんは優しく断った。 「色々としなきゃいけないことあるんでしょ。ここはまかせなさい」 「うん。ありがとう、おかあさん」 もう一言言えば、きっとわかってくれる。 でも、その先を口にするのがなんとなく躊躇われて素直に従った。 パタパタと階段を駆け上がって自室に戻る。 大好きなお母さん。唯一欠点があるとすれば――――過保護、なのかな? 最近は、後片付けどころか、その他の家事もみんな一人でやってしまう。頼りにされていないのが、少し寂しいと思った。 わたしの夢を応援してくれているから。それがわかるから、口にはできなかった。 気を取り直して机に向かった。 朝早く起きて犬のお散歩。勉強の予習。 学校から帰ったら、みんなと一緒にダンスのレッスン。 帰ったら動物病院のお手伝い。机の上では学べない、実践的な知識を身に付けるために。 お風呂に入ってご飯を食べたら、後は勉強の復習。残った時間は、医学書やその他の色んな本を読んで知識を深める。 少し前からは想像もできないくらい忙しいスケジュールだけど、とても充実していた。 毎日が楽しくて、自分が活動的に変わっていくのが感じられた。 宿題と復習は終わり。後は日記を書いてから眠くなるまで読書。そんな時だった。 くるっぽー、くるっぽー、くるっぽー リンクルンの着信音。メールじゃなくて電話だった。 以前は犬の鳴き声にしていたのだけど―――― 動物病院のお手伝いが増えてからは、鳩やふくろうなんかの声に切り替えた。 まぎれちゃって、気が付かないことが多かったから……。 えっ? そもそも動物の声にしなきゃいいって? 好きなんだから仕方ないの……。 美希ちゃんかな? ラブちゃんかな? 表示されていた名前は、東 せつな。 せつなちゃんからかけてきてくれることは久しぶりだった。嬉しくなって、急いで通話ボタンを押した。 「こんばんは。うん、大丈夫、まだ起きてたよ。明日? うん空いてる、楽しみにしてるね!」 おやすみなさい、そう言って電話を切った。珍しく興奮気味なせつなちゃんの様子に、わたしの気持ちも自然と弾む。 明日は建国記念日で学校はお休み。ラブとクッキーを焼くんだけど、良かったら一緒にやろうって。 でも、クッキーなんて……。 学校の家庭科の時間を思い出す。 香ばしいを通り越して、焦げ臭い香り。クマにしか見えない真っ黒なパンダさん……。 なんとかなるよね! 読みかけた本を置いて、さっそく作業に取り掛かる。 みんなで作るなら、持っている型だけじゃ寂しいと思ったから。 薄いアルミの板をハサミで切って形を整えていく。次々に新しいデザインの枠が形作られていった。 「ふ~ん、美希ちゃんはラブちゃんから連絡もらったのね」 「そうよ。今日はなんだか楽しそうじゃない? ブッキー」 「だって、せつなちゃんから電話してくれるなんて珍しいし」 「そうなの?」 「えっ?」 「あ、ううん、なんでもない。楽しい一日にしましょう!」 先に美希ちゃんの家に寄ってから、並んでラブちゃんの家に向かって歩き出した。 バラバラに押しかけるのは、返って気を使わせると思ったから。 「いらっしゃい! 美希、ブッキー」 「「おじゃましま~す」」 ノックしたら、すぐにせつなちゃんが扉を開けて出迎えてくれた。 扉の前で待ってたんじゃないかと思うくらいのタイミングだった。 せつなちゃんの凛々しい顔立ちがほころぶ。笑顔でやわらかくほどける。 その嬉しそうな表情は、訪れたわたしたちとって何よりの歓迎だった。 「美希たん、ブッキー、せつな~。材料の準備済んだよ!」 「楽しみね、せつなちゃん」 「ええ、精一杯がんばるわ」 「せつなは頑張りすぎよ。クッキーなんて気楽に焼けばいいの」 「そういう美希が、一番ムキになったりするのよね」 「失礼ね! アタシはお菓子作りくらい簡単に」 「この前、タマネギで泣いてたクセに」 「そう言えば、タマネギをアタシに回したのはせつなだったような」 「美希は澄ました顔より、泣き顔の方が可愛いわよ」 「やっぱり……わざとだったのね!」 「はいはい、喧嘩はそのくらいにして始めようよ」 ふざけあってる美希ちゃんとせつなちゃんが、ちょっとだけうらやましかった。 始めはギスギスしていた二人だけど、似たもの同士なのか気が合うらしく、よくじゃれ合っている。 普段なら混じることができるのに、苦手意識で気後れしてしまう。 調理が始まった。 泡立て器を握ったラブちゃんの手が、ボウルの中で軽やかに舞う。 トロッと溶けた黄色いバターが、鮮やかな手付きで混ぜられてクリーム状になっていく。 普段はとても器用とは思えないのに、どうしてお料理となるとこんなに人が変わるのだろうと思う。 「ブッキー、卵を割って溶いてくれる?」 「うん、わかった」 ボウルの角で卵を割る。割れた卵の中身は、ボウルの外に落ちた……。 「ごめんなさい、手が滑っちゃって。次はちゃんとやるね」 今度は慎重に、ボウルの中の面に叩きつける。ガシャって音と共に、砕けた殻が中身に混ざる……。 「ブッキー、大丈夫?」 「う、うん、すぐに取れるから」 なんとなく察しているラブちゃんと美希ちゃん。二人にバレてるのはわかってる。今さら恥ずかしいとも思わない。 でも、せつなちゃんは知らないみたいだった。カッコ悪いところを見られたくなくて、必死で誤魔化した。 動揺を悟られたくなくて、急いでラブちゃんの泡立てたバターの中に流し込む。 「あぁ! 一気に入れちゃダメ~!」 「えっ? ええっ?」 止めようとするラブちゃんの手と、自分の手がぶつかり合う。 バランスを崩して両方のボウルごとひっくり返してしまった。 「ごめんなさい……」 「平気だよ! 材料多目に用意してるし、始めからやり直そう」 卵とバターでベッチャベチャ。暗澹たる気持ちでお掃除に取りかかった。 せつなちゃんが手伝いながら問いかけてきた。 「もしかして、ブッキーってお料理苦手なの?」 「そうなの……。黙っててごめんなさい」 「気にしなくていいわ。一つくらい苦手なものがあったほうが付き合いやすいもの」 「そこで、どうしてせつなはアタシを見ながら言うのよ……」 「別に? あっ、美希のお鼻に薄力粉が――――」 「えっ? やだっ!」 「今、付いたわよ」 「クッ、はめたわね。この~~!」 せつなちゃんが美希ちゃんをからかいだす。また二人の漫才が始まった。今度はラブちゃんも止めなかった。 気落ちしてるわたしを笑わせようと、みんなで気を使っているんだろう。 でも、そうやってせつなちゃんとふざけている美希ちゃんの姿すらうらやましく思えて、笑う気にはならなかった。 (料理、ちゃんと教わっておけばよかった。引っ込み思案も、やっぱり直ってないのかも……) ラブちゃんが主導で再びクッキー作りを再開する。今度はわたしは手を出そうとしなかった。 せっかくの楽しい時間を自分の失敗で台無しにするわけにはいかない。わたしは成形で役に立とうと決めた。 「ブッキー、一緒にやりましょう」 「えっ? でも、邪魔になるといけないし……」 「大丈夫、肩に力が入りすぎてるだけよ」 せつなちゃんがわたしの手の上から自分の手を被せる。 時々耳にかかる吐息がくすぐったくて、自然に力が抜けていく。 溶いた卵を、三回に分けてゆっくりと混ぜていく。 チョコチップ、アーモンド、バニラエッセンスを混ぜていく。 美希ちゃんがふるいにかけた薄力粉とベーキングパウダーを少しづつ混ぜていく。 ヘラでボウルの底から掬いあげるようにして、しっかりと馴染ませた。 全ての作業は、わたしの手で行われた。 抱きつくようにして、せつなちゃんが上からわたしの両手を握って力加減をコントロールしてくれた。 苦手意識で体が硬直しているだけ。 一度感覚を身体に覚え込ませれば、わたしは必ず上達するからって。 からかうのではなく、呆れるのでもなく、真剣な表情で付き合ってくれたせつなちゃんに感謝した。 小さなことで気落ちしていた自分が恥ずかしくなる。 以前は引っ込み思案で、自分から行動することができなかった。 足りないのは自信。自分を信じること。 苦手なお料理で、そんな自分の欠点がまた出てきてしまっていた。 そんな中、せつなちゃんはわたしを信じてくれた。だから、精一杯がんばろうって思った。 後は型に入れて形を整えて、焼き上げるだけ。 わたしの本領が発揮できるパートだ。 「わっは~、かわいい! これブッキーが作ったの?」 「凄い、単純な形なのに、ちゃんと何の動物か全部わかるわ」 「さすがブッキーね。こういうの作らせたら完璧ね!」 「このまま焼いてもいいけど、どうせならちゃんと絵も描いたほうが可愛いと思うの」 型はあくまで縁取り、動物の輪郭に過ぎない。 千切った生地を棒状に丸めて立体的に仕上げていく。そして、チョコペンを使って絵も入れた。 今度は、わたしがせつなちゃんに教える番。 少ない線で動物を描くには、特徴を極端に強調すること。 飲み込みの早いせつなちゃんは、見事なデザインで作り上げていった。 「ラブちゃんが作ってるのはクマ?」 「犬のつもりなんだけど……」 「美希が作ってるのはブタね!」 「失礼ね! 鳥よ」 「あっ、横から見るのね。羽が鼻に見えちゃった」 みんなでお腹を抱えて笑った。 作ってる本人たちも、最初は怒っていたけど、ついには可笑しくなって―――― 上手なものは誇らしくて。 そうでないものは可笑しくて。 やっぱり、どれも楽しかった。 そして、どれも最高に美味しかった。 お腹も、そして何より、心も。 満たされた気持ちで帰路に着いた。 家の中に入ると、ちょうどお母さんが夕飯の支度を始めようとしていたところだった。 「おかえりなさい、祈里。今日は楽しかったみたいね」 「えっ? まだ何も話してないのに」 「嬉しそうな顔を見たらわかるわよ」 「あのね! おかあさん」 「どうしたの? 急に真剣な顔して?」 「わたしも、おかあさんみたいにお料理が上手になりたい!」 思い切って口にする。お母さんの気持ちはわかってる。 どんなに忙しい時も、お父さんの食事も、わたしの食事も手を抜くことなく作ってきた。 それがお母さんの誇りであることもわかっていた。 でも、わたしもお母さんのような女性になりたいと思ったから―――― 「嬉しいわ。じゃあ、今晩から一緒に作りましょうか?」 「うん!」 お母さんは、少し驚いた表情の後、ニッコリと笑ってそう言った。 その夜から、山吹家の食卓には不恰好な料理がいくつか並ぶようになった。 以前にもまして――――弾む会話と共に。
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図書館に本を返しに行った帰り、せつなちゃんにばったり会った。 わたしを訪ねて来るところだったんですって。 でも、ラブちゃんと一緒じゃないなんて珍しい。 「ブッキーって読者家よね。」 図書館帰りだと言うと、そうせつなちゃんが微笑む。 本当はほとんど読まずに返しちゃったんだけど。 三冊借りたけど、全然読む気になれなかった。 退屈しのぎに借りたつもりだったのに、暇潰しする気にさえなれない。 相変わらず、美希ちゃんからはメールも電話もなくって。 美希ちゃんやラブちゃん、せつなちゃんと一緒なら時間潰しなんて しようとも思わないのに。 一日が物凄く長く感じて、それなのに何もする気になれない。 自分から連絡すればいい、って言うのは分かってる。 でも、わたしからメールしてもし返事が来なかったら。 電話しても繋がらなかったら。 最初に無視したのはわたしなのにね。 「一人なんて珍しいね。どうしたの?」 「うん…。ブッキーと少し話したくて。」 この間のダンスレッスンの時の事、よね。 やっぱり、気にしてたんだ。うん、気にしない方がおかしいよね。 あんなにジトっとした目で見られたら。 きっと、せつなちゃんは自分を責める。知っててやってたよね、わたし。 せつなちゃんを困らせたって何にもならないのに。 ラブちゃん、呆れただろうな。それに、美希ちゃんも。 「あのね、ブッキー。今から私が聞く事、たぶん答え辛いと思うの。」 「…え?」 「でもね、私も聞きづらいのよ。だから、聞いたからには ちゃんと答えるって約束してくれる?」 何それ?何だか怖いんだけど……。 でも、こんな真剣な顔のせつなちゃん。嫌…とは、言えない雰囲気で……。 「お願い。」 「わ、分かった。」 「本当ね?」 ちょっと、本当に怖いかも。 何聞かれるんだろう……。 せつなちゃんは「いい?」と問い掛けるように見つめてくる。 やっぱり嫌、……とは、言っちゃ駄目、よね……。 「ねぇ、ブッキー。私が羨ましい?」 思わず、足が止まった。 「私に、嫉妬してる?」 足が震える。 「せ、せつなちゃんっ。そ、そう言うこと、面と向かって言うのって どうかと思うのっ!」 手足の指先は冷たいのに顔が熱い。 恥ずかしさに体が震える。カアッと一気に瞼が熱くなって、泣き出しくなった。。 「あぁ、ごめんなさい。私、空気読めないから。」 それも自分で言う事じゃないと思うの。 どうして、こんな。せつなちゃんは人を馬鹿にしたり、見下したり する子じゃないと思ってたのに。 それとも、本当に悪気なく聞いてるの? それにしたって…… 「ね、約束よ。答えて?私、分からないわ。 ブッキーが羨ましがるような物、持った覚えないんだもの。」 「…………せつなちゃんは…すごく、綺麗……。」 「それだけ?」 「……頭が良くて、運動神経も良くって…ダンスだって……。それに……」 「それに?」 「……ラブちゃんと……」 唇を噛み締めた。言葉が続かない。すごく、惨めな気分。 なんで、せつなちゃん。なんでこんな事言わせるの? 「…なんだ。それだけなんだ。」 「…!」 「そんなもの、ブッキーはもう全部持ってるじゃない。」 思わず、顔を上げてせつなちゃんを見る。 わたしを馬鹿にしてなんか、ない? すごく、優しい顔。そして、少し悲しそうな顔。 ねぇ、ブッキー。私、確かに数学得意よ。教科書見たとき驚いたもの。 この年で、まだこんな初歩的な問題やってるのかって。 運動神経もね、体育の時間とかびっくりよ。 みんななんであんなにダラダラ走るのかしら? 体も固いし、全然真剣じゃないの。あれで上達するものなんてないわよ。 みんな私の事、すごいって誉めてくれた。何でも出来るって。 でも、何で私が出来るかわかる? 「それしか、やってこなかったから。他の事、何一つやってないからよ。」 ブッキー。私、学校に行き始めた時、毎日ヒヤヒヤしっぱなしだったわ。 何か変な事言ってないか。おかしな行動してないかって。 前にね、クラスでお喋りしてて私が「桃太郎」を知らなくて すごく微妙な空気になった事があったの。 ラブがフォローしてくれたけど、こちらの人は、それこそ五歳の子から お年寄りまで知らない人なんていないのよね。 調べて驚いたわ。たくさんあるのね、「おとぎ話」って。 ねぇ、ブッキーはいくつ「おとぎ話」を知ってる?きっと数えきれないわよね。 いくつ歌を歌える?トリニティとかの流行りの曲じゃないわよ。 そう、例えば「犬のお巡りさん」とか……。これもきっと数えきれないわね。 子供の頃、何して遊んだ?かくれんぼ、おにごっこ…、ブッキーは 外で遊ぶよりおままごととかが好きだったのかしら。 きっとブッキーはお母さん役だったんでしょう? 「私はそう言うもの、何も持ってないの。」 それは『知識』なんかじゃないわよね。 みんな、息をするように体と心に蓄えてきた事。 初めて「犬のお巡りさん」を歌ったのがいつだか覚えてる? たぶん、覚えてる人の方が少ないんじゃないかと思うの。 いつの間にか、覚えてた。 他の事もそう。いつ誰に教わったか。そんな事、考えもしない。 知ってて当たり前。出来て当たり前なんだもの。 その「当たり前」がどれだけの場所を占めてるのかしら。 きっと途方も無く広い場所よ。果てなんて見えないくらいに。 私はね、その「当たり前」の部分がすっぽり抜けてる。 だからその場所に、数式や戦闘訓練の体の記憶を詰め込んでる。 それでも、一杯にはならないわ。あまりにも広すぎるから。 今、必死で埋めてるけどきっと追い着かないわ。 知りたい事、やりたい事はどんどん増えるのに、覚えても覚えても、 更にその先に広がってるんだもの。 「ブッキー、お願いだから本気で羨ましいなんて思わないで。 あなたは欲しいもの、もう全部持ってるはずでしょう?」 「せつなちゃん……。」 せつなちゃんに、わたしを責める様子は微塵もない。 ただ、少し困ったように。そして、ほんの少しだけ、怒ったように、 見つめている。 下を向いたまま、顔を上げられない。恥ずかしくて、情けなくて。 わたしは、きっと言ってはいけない事を言ってしまった。 「せつなちゃんが羨ましい」「せつなちゃんは何でも出来る」 みんなが羨ましがるもの、きっとせつなちゃんには自慢でも何でもない。 せつなちゃんがどれだけ努力してるか。 どれだけ頑張って、笑えるようになったのか。 ずっと、側で見てきたはずだったのに。 「ブッキーは美希が好きなのよね。」 コクリ、と何の躊躇いもなく頭が上下した。 もう誤魔化す事も、言い訳もしちゃいけない。 せつなちゃんに、これ以上失礼な態度はとっちゃ駄目だ。 せめて、正直に。ちゃんと、答えなきゃ……。 「美希もよね。」 独り言のように、せつなちゃんは呟く。 「それなのに、私とラブが羨ましいの、どして?」 「……だって。」 告白なんて、されてない。 気持ちだって、はっきり口に出した事もない。 「だったら、ブッキーから言えばいいのに。」 「へ?」 せつなちゃんは不思議そうに、首を傾げる。 顎に指を添え、軽く目を見開いて。 わたしがあんなポーズしたら、きっとすごくブリッコっぽく見えそう。 やっぱりせつなちゃんくらい可愛くないと……って、また僻みっぽいわね。 駄目だわ……わたし。 「だから、美希が言わないならブッキーが言えばいいのに。」 え?そりゃ……。でも! 頭の中がぐるぐるする。 考え事もなかった。わたしから告白?って言うか、 せつなちゃんの中では美希ちゃんが断るって選択肢はないのね。 「ブッキーは美希から言って欲しいの?どして?」 「だって、それは……」 恥ずかしいし、やっぱり好きな人に告白されたいって言うのは 女の子の夢だし。 「恥ずかしいの?美希から言われる方が嬉しい?」 頷く私にせつなちゃんは言葉を重ねる。 「ブッキー、美希だって女の子よ?」 ブッキーが恥ずかしいように、美希だって恥ずかしいんじゃない? ブッキーが美希から告白されたら嬉しいように、美希も ブッキーから告白されたら嬉しいんじゃないかしら。 好きな人が嬉しくなると、自分も嬉しくならない? 大好きな人を喜ばせる事が出来るって、とても幸せだと思うの。 今の気持ちを擬音語にすると、ポカーンだろうか。 それとも、ガーン!!…? わたしはその場に崩れるようにしゃがみ込んだ。 人間、ドン底だと思ってる内は甘い。 その先はさらに深い穴が空いてるんだ。 もう、情けない、とか恥ずかしいのレベルではない。 真剣に、一度死んだ方がいいのかも。 この短い時間に何度目だろう、自分の馬鹿さ加減に暴れたくなるのは。 「ブッキー?」 せつなちゃんが向かい合わせにしゃがんできた。 ごめんなさい。ワケわからないわよね。 「せつなちゃん、わたしって救いようがないわ……」 今まで美希ちゃんが与えてくれたもの。 どれだけわたしを嬉しくさせてくれたか。 何度、幸せを感じさせてくれたか。 わたし、その幸せを一度でも美希ちゃんに伝えた事があったかしら。 美希ちゃんの為に、幸せを運んだ事があったかしら。 美希ちゃん、それでも笑ってくれてた。 それは、今せつなちゃんが言った事。 好きな人が喜ぶと、自分も幸せだから。 自惚れてる?でも、きっとそうなの。 だって、わたし美希ちゃんが好きなんだもの。 美希ちゃんの喜ぶ顔、思い浮かべるだけで胸がいっぱいになる。 美希ちゃんも、そうだったんだ。 言わなければいけない事。やらなければいけない事。 後から後から雪崩みたいに押し寄せてくる。 自分の馬鹿さ加減に打ちひしがれてる場合じゃないのよ。 謝らなきゃ。お礼言わなきゃ。ちゃんと、言葉で伝えなきゃ。 せつなちゃんに、ラブちゃんに、そして何より美希ちゃんに。 何からしていいのか分からない。 せつなちゃんが心配そうに覗き込んでる。 「あのね、せつなちゃん。言いたい事がいっぱいいっぱいありすぎて、 何から言えば良いか分からないんだけど………」 思い切って、顔を上げた。ふぅ、と息をつく。 泣いちゃ駄目。笑うんだ。 「ごめんなさい。わたし、せつなちゃんに嫉妬してました。」 「……うん。」 「イヤな態度、取りました。せつなちゃんが気にするって分かってたのに。」 「…うん」 「せつなちゃんなら自分のせいでって、わたしや美希ちゃんがおかしいの、 自分が原因じゃないかって、悩むの分かってたのに。」 ぎゅっ、とせつなちゃんの手を握った。 「大好きよ。せつなちゃん。」 「ブッキー……。」 「美希ちゃんや、ラブちゃんに負けないくらい、大好き。」 「うん。私もよ。」 「これからも、友達でいて下さい。」 「はい。」 ものすごくありきたり。そして、全然謝り足りない。 たぶん、わたしは自分が思ってる以上に、色んな失敗してる。 でもラブちゃんも美希ちゃんも、今までずっと許してくれてたんだ。 『あーあ、ブッキーはしょうがないなぁ』って。 せつなちゃん、背中を押しに来てくれたんだ。 ラブちゃんは、きっとわたしには何も言わないつもりだったんだろうから。 そうだよね、わたし達3人は昔からそうだったもん。 ラブちゃんは、いつもわたしをそっとしておいてくれる。 ちゃんと、自分で考えて答えを出せるように。 でも、せつなちゃんは違うのよね。焦れったかったろうな。 何もせずに、いられなかったのよね。 うん、でも今回はせつなちゃんが正解だと思うの。 わたし、せつなちゃんじゃなければ素直になれなかった。 もし、忠告してくれたのがラブちゃんなら、言葉にしなくても分かった 気になっちゃってたと思う。 それで、結局…今まで通り居心地のいい所に納まろうとしてたろうな。 「私への告白は終わり?」 ニッコリと、それはそれは綺麗に微笑むせつなちゃん。 やっぱり、この容姿は羨ましいかも。 「うん、……まだまだ言い足りないけど。今日はこの辺で。」 「また、続きがあるならいつでも。」 「よろしくお願いします。」 しゃがんで手を握り合ったまま、ペコリと頭を下げる。 「そろそろ、帰ろうか。」 わたしたちは手を握り合ったまま立ち上がる。 放してしまうのが何だか名残惜しい。 そのまま手を繋いで歩いても、きっとせつなちゃんは嫌がったりしない。 でも、やめておこう。 だって、わたしたちが手を繋ぐ人は他にいるもんね。 並んで歩くせつなちゃんの横顔、美希ちゃんに負けないくらい完璧。 こればっかりは持って生まれたものよねぇ。 じっと見つめてたら、目が合ってしまった。 「何?」 「んー、美人だなぁって思って。」 ふぅ、とせつなちゃんは苦笑い。 「なあに?まだ羨ましいの?」 「せつなちゃんには分からないよ。」 ぷっと膨れてみる。でも、何でだろ? 羨ましさに変わりはないのに、ちっとも心がカサカサしない。 「なるほど、こう言うところね……。」 「??何が?」 「ラブが言ってたの。ブッキーは結構我が儘なところがあるって。」 ええ…?ラブちゃんちょっとヒドイ。でもまぁ、うん、仕方ないかな……。 「ワガママ…かなぁ…?」 「うん。だってブッキー、10人いたら10人とも可愛いって思われたいんだ?」 いや、そこまでは…。ああ、でも10人中5人…6人くらいには そう思われたい……かな? 「私は……、ラブ一人が可愛いって思ってくれたら、それで充分だけどな。」 だって、百人に誉められたって肝心の好きな人に可愛いって 言って貰えないなら意味なんてないじゃない。 ちょっと俯いてポソポソと呟く。 そのせつなちゃんの顔は耳まで赤くて、何だかわたしの 顔まで熱くなってきた。 「ノロケてるねぇ~。」 「もうっ!そうじゃなくて!」 照れ隠しにわざとからかい気味に言ってみた。 せつなちゃんの顔が近づいてくる。 美希だって、ブッキーは世界一可愛いと思ってるわよ? 息の掛かる距離で囁かれたその言葉は、 蕩けるように甘く耳と胸に響いて。 ちょっと、美希ちゃんに申し訳なくなるくらい心臓が跳ね上がってしまった。 じゃあ、私こっちだから。 半ば固まってるわたしにせつなちゃんは手を振って離れて行く。 「そうだ、ブッキー。今日の事は美希には内緒ね?」 ??なんで?何も知られて困るようなやり取りはしてないと思うんだけど……。 「美希より先にブッキーに『大好き』なんて言われたのバレたら大変よ! 私、美希に恨まれちゃうわ。」 だからナイショよ? せつなちゃんは唇に人差し指を当てて、パチンとウインク。 いつの間にか、そんなお茶目な仕草も様になってきてるのね。 わたし達はほんのり染まった頬のまま、悪戯っ子のような笑みを浮かべ合う。 せつなちゃんはわたしが角を曲がるまで、ずっと見送ってくれていた。 胸の中がクスクスとくすぐったくて暖かい。 ねぇ、せつなちゃん。 せつなちゃんは、ずっと埋まらない大きな隙間があるって言ったよね。 でも、その隙間を埋めてるのは難しい数式や、 訓練の厳しい記憶だけじゃないと思うの。 暖かくて、優しくて、そしてほんのちょっぴり痛いの。 それがせつなちゃんの幸せの感触なのね。 ちゃんと貰ったよ。 今度はわたしが渡す番。 避-722へ
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白く、しなやかな指がペンダントのチェーンにかかる。 絹糸のように細い輪の連なり。ほんの一瞬の抵抗の後、弾けるように宙に舞う。 手を真っ直ぐに伸ばす。千切れた鎖の先で輝きを放つ、幸せの素を高く掲げる。 贈ってくれた人の目に、しっかりと映るように。 向かい合う少女は、信じられないといった面持ちでその動きを見守る。 心は凍りつき、感情は形を成さない。思考だけが状況を正確に、そして無慈悲に、記憶に刻み込んでいく。 (やめて、お願い、やめてぇ――――!!) 届かない。どんなに叫んでも、今のせつなの声は決して届くことは無い。 これは、夢の中なのだから。 せつなと、そして、きっとラブにも刻まれた過ちの記憶なのだから。 チェーンをつかむ指から力が抜け、それはゆっくりと落下していく。まるで、スローモーションのように。 固いコンクリートの床に叩き付けられ、軽くバウンドする。 ズキン――――ズキン――――ズキン ズキン――――ズキン――――ズキン――――ズキン ズキン――――ズキン――――ズキン――――ズキン――――ズキン 痛い、痛い、痛い。心が――――砕け散りそうになる。 まるで自分の魂が、その緑色のアクセサリーに封じ込められてでもいるかのように。 踵で踏み付けて力を込める。形を変えるはずのない硬い樹脂が、ほんの一瞬だけ歪む。 軋みを上げることもなく、割れる音を大きく響かせることもなく。 悲しいほどにあっけなく、四散した。 『翼をもがれた鳥(第十七話)――――幸せの素に導かれて――――』 「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」 激しい運動ですら、滅多に乱すことの無いせつなの呼吸が荒れる。 額に滲む大量の汗は、寝苦しいほどに熱い気温のせいだけではないだろう。 「ある。――――ちゃんと、ここに……」 ベッドの宮棚に大切に置かれた、緑色のアクセサリーを手にする。 もう、欠片とは呼べないだろう。 砕けた破片の中から見つかった四つ葉の一枚。それを削って、磨き上げて、ハート型に仕上げたのだ。 このままでは、あまりにも悲しかったから。 後悔以外の――――意味を与えたかったから。 トン、トン、トン パジャマを着替えて、静かに階段を降りる。 まだ起きるには早い時間かと思ったが、あゆみは既に家事に取りかかっていた。 居間の隣、和室と呼ばれる畳で敷き詰められた部屋。そこで先の尖った器具で作業をしていた。 邪魔をしてはいけないと思い、その場で待つことにした。 しばらく後、作業が一段落したのか、あゆみは廊下でたたずむせつなに気が付いて振り返る。 「おはよう、せっちゃん。どうしたの? こちらにいらっしゃい」 「おはよう、あゆみおばさま。邪魔しちゃってごめんなさい」 なんとか丁寧語を崩そうと、懸命に努力しているせつなの挨拶が可愛らしかった。あゆみはせつなを招き 寄せる。 アイロンかけはほとんど終わっていたのだが、せつなの様子から、興味がありそうに見えたからだ。 不思議そうな顔で見つめるせつなに、やってみたら? とあゆみが持ちかける。 少し恥ずかしそうにはにかんで、せつなは頷いた。 霧を吹き、細かい部分から順に、直線的に動かしていく。 右手でアイロンの先を浮かして動かしながら、左手で器用に生地を引っ張っていく。 見る見るうちに美しく仕上がっていく。 あゆみは驚きに目を見開いた。 確かにアドバイスはした。素直に頷きもした。しかし、せつなの手はそれを始めから熟知しているかのよ うに動く。 その動きは、あゆみと比べても遜色のないものだった。 「すごく上手ね、せっちゃん。やったことあったのね」 「いいえ、これが初めてです」 「えっ? でも、教えていないことまで……」 「さっきまで、おばさまのアイロンかけを見ていたから」 そのとんでもない言葉に、あゆみは一瞬、驚愕して身を引いてしまう。 改めて、まじまじとせつなを見つめる。その表情には、自信も、誇らしさもうかがえなかった。 それどころか、困ったような、不安そうな様子すら感じられた。あゆみの反応に、何か失敗してしまった のではないかと心配しているのだろう。 ふと、あゆみはラブの言葉を思い出す。 とてもつらい所で生きてきた子だからって。失敗したり、言うことを聞かなかったりしたら、それだけで 命が奪われてしまう。 そんな世界で、ずっと暮らしてきた子だからって。 極限まで研ぎ澄ませた集中力。ずっと、この子はそんな風に張り詰めて生きてきたのだろう。 愛しくなって、あゆみはせつなをそっと抱き寄せた。 情緒が不安定なところもあるだろうけど、仕方がないの、わかってあげて。 ラブはそう言っていた。 情緒不安定はどちらかと思う。せっちゃんに変に思われないかしら? そう心配しつつも、抱き寄せる腕 を離す気にはならなかった。 この子に一番足りないのは、この温かさだって気がしていたから。 「おばさま?」 「ああ、ごめんなさい。嫌だった?」 「ううん――――」 「そうだ、何か用事があったんじゃないの?」 せつなは小さく頷いて、ポケットから緑色の塊を取り出した。 大切そうに、両手に乗せてあゆみに見せる。 「大事なものなんです。壊してしまって……。もし、使わないチェーンか何かあったら」 「直したいのね?」 「はい。始めは四つ葉の形をしていたんです」 「ええ、ラブから聞いているわ。あの頃ね――――」 ねえねえ、おかあさん、幸せの素って何だと思う? 商店街の福引の一等賞がそれなんだって。だから、どうしてもゲットするんだって。 キラキラと瞳を輝かせてラブはそう言っていた。 貯めていたお小遣いも全て使ってしまった。カオルちゃんのドーナツを食べるお金すら残っていない。 よく、そうボヤいていたものだった。 それでも諦めきれなくて、進んでお使いをかってでた。 買い物に出かけるたびに足を弾ませて、帰ってくるたびに肩を落として―――― ある日、素敵なお友達と知り合うことができたって、ラブはそう言っていた。 その子はドーナツを食べるのが初めてなのに、惜しみなく半分こしてくれたって。 ジュースも買えなくてお水で喉に通したけど、これまで食べたどんなドーナツよりも美味しかったって。 その後、やっと幸せの素を手に入れることができたって。そして、それをその子にあげてしまったって。 ごめんなさいって、ラブはあゆみに謝った。 あゆみは、良かったわねって、そう言って微笑んだ。 「だって、そうでしょ? もっと欲しいものが、見つかったってことなんですもの」 「はい……」 せつなは、それを両手に握りしめて瞳を潤ませる。 あの日から、あゆみはその子のことが、ずっと気になっていたって。だから、こうして家族になれて凄く 嬉しいって。 「そうそう、チェーンだったわね。待っててね」 「おばさま! それは――――」 清楚な光沢を放つ白銀のチェーン。その先に付いているのは、ハートをあしらったプラチナの細工物。 その中央に丸くて大きなルビーが収まっていた。 それは、樹脂で成型されたものなんかじゃない。本物の――――宝石だった。 「待ってください! それは、駄目です!」 「いいのよ。せっちゃん、赤が好きなんでしょう? だから、あげようと思っていたところなの」 専門知識の無いせつなにも、それが相当に高価なものだということくらいはわかる。 普段、宝石を身に付けないあゆみの持ち物であることを考えれば、大切な思い出の品だということも想像 がつく。 せつなの制止も聞かず、あゆみはそれをチェーンから外し、代わりに幸せの欠片を取り付ける。 「器用でしょう? これでも職人の娘なのよ」 「私、そんなつもりじゃ――――」 「いいの。ただし、ルビーは部屋にしまっておくこと。中学生が身に付けるものじゃないわ」 「中学生?」 「そうよ、もう手続きは済ませましたからね。せっちゃんはラブと同じ中学二年生よ」 できた! きっと、よく似合うわ。あゆみは、せつなに抱きつくような格好でペンダントをかけた。 そして、せつなの手を開いてルビーを握らせた。 情熱の赤い宝石。勝利の石とも呼ばれ、あらゆる危険や災難から持ち主の身を守り、困難に打ち克ち、勝 利へと導くという。 「きっと、せっちゃんのことを守ってくれるわ」 「ありがとう――――」 そこから先は言葉にならず、せつなは、今度は自分からあゆみに身を預けた。 飛び込むほどの勇気は出せず、触れるか触れないかの距離で全身を震わせて泣いた。 あゆみは優しくせつなの背中を撫でる。そして、心を込めて囁いた。 「幸せになりなさい。せっちゃん」 小さくて可愛らしいハート型のペンダント。せつなは、そっと首に戻して追憶を終える。 幸せになりなさい――――あの時かけられたあゆみの言葉に、結局せつなは返事をすることができなかっ た。 今なら、胸を張って答えられるだろうか? はい――――と。 無理だと思う。 それでも、せつなはこれから幸せをつかみに行く。 例え、一時のものであっても構わない。与えられるのではなく、自分から幸せを手に入れに行く。 (それをどうか――――許してください) せつなはペンダントを握りしめて、静かに祈りを捧げた。 コンコン 部屋がノックされる。音の響きでラブだとすぐにわかる。 せつなは、急いでペンダントを服の中にしまって戸を開けた。 「せつな! ブッキーがせつなに会いたいって」 「ええ、わかった。私が迎えに出るわ」 「そっか。じゃあ、あたしはお茶を淹れてくるね」 祈里からせつなに会いに来る。それがラブには大きな驚きだった。 まだ、美希や祈里はせつなと馴染んでいるとは言い難い。ラブとしても気の使うところだった。 まして、祈里は控えめな性格で、自分から行動を起こすことは少ない。それだけに意外で、そしてありが たかった。 せつなが玄関まで迎えに出ると、祈里は嬉しそうに微笑んだ。 手には大きな包みを抱えている。せつなは自分の部屋に祈里を案内した。 「いらっしゃい、ブッキー」 「お邪魔します。わぁ~、せつなちゃんのお部屋かわいい!」 「ありがとう。とても気に入ってるのよ」 せつなは本当に嬉しそうに微笑んだ。もともと、自分のことを誉められて喜ぶような子ではない。 だけど、この部屋は別だった。この家と、この家族は特別だった。 「今日は、せつなちゃんにプレゼントを持ってきたの」 「ありがとう。何かしら?」 「これは――――赤い、ダンス服? 私の……」 「せつなちゃんの、クローバー加入のお祝いよ。気に入ってもらえるといいけど」 「ありがとう――――さっそく着てみていいかしら?」 「うん、じゃあ、わたしは外に出てるね」 「それは悪いわ。ブッキーになら、見られても平気だから」 「うん、じゃあ着つけを手伝っちゃう」 下着姿になったせつなを見て、祈里は息を呑む。 透き通るような白い肌の下に秘められた、強靭なる筋肉。鍛え上げられたスレンダーな肢体なら、美希で 知っている。見たことがある。 だけど、またそれとは違う。魅せる力ではなく、秘める力。生き抜くことに特化した、戦うための肉体。 例えるならば、豹のようなしなやかさ。研ぎ澄まされた、刃物のような美しさ。一見女性らしい丸みを帯 びながらも、その奥に弾けるようなバネを感じさせた。 「せつなちゃん……すごい……綺麗」 「もう、恥ずかしいからジロジロ見ないで」 「ごめん、じゃあ、寸法の微調整もしちゃうね」 「ええ、お願い」 祈里は、メジャーと針と糸を引っ張り出して仕上げにかかった。 大まかな寸法はラブと同じと聞いていたが、念のため調整が効くように仕上げを残しておいたのだ。 「お待たせ、ブッキー、せつな。って――――何やってるの~~~!!」 「あっ、ラブ! これは」 「ちっ、違うの、ラブちゃん。脱がせてるわけじゃなくて!」 かろうじて、淹れたお茶をひっくり返さずにすんだラブに事情を話す。 フンフンと聞いていたラブだったが、納得がいくと、とたんに目を輝かせた。 「せつなって超キレイ~、あたしとはお風呂も入ってくれないんだよ」 「一緒に入ろうとしてたんだ……」 「ちょっと! もう、何の話よ。いいから服を返して!」 すっかりせつなの下着姿の鑑賞会になったことに、口を尖らせて抗議する。 身体を丸めてうずくまったせつなに、祈里は仕上げの済んだダンス服を手渡した。 「どう――――かしら?」 「せつなちゃん、よく似合ってる!」 「うんうん、これでせつなもクローバーだね!」 「ありがとう、ブッキー」 「えっ、今、せつなブッキーって……。それに、ブッキーもせつなちゃんて……」 「うん、この間からなの」 祈里が嬉しそうに事情を話す。せつなも恥ずかしそうに頷いた。 よほどダンス服が嬉しいのか、せつなは姿見を眺めながら何度もクルクルとまわる。 そして、ラブの携帯に着信が入る。 「もしもし、美希たん? えっ、せつなに? うん、代わるね」 「もしもし、ええ、今はブッキーと私の部屋よ。うん、わかった。一緒に練習しましょう」 今度は、美希からせつな宛ての電話だった。親しげに話す様子に、ラブは目をパチクリさせる。 明日は、せつなにとって初めてのダンスレッスンだ。事前に、基礎だけでも予習しておこうとの美希から の誘いだった。 四つ葉町公園の、いつものダンス練習ステージに四人は集まった。 ピンク、ブルー、イエロー、そしてレッド。一際目立つ真っ赤なダンスウェアが、クローバーを華やかに 彩る。 眩しい日差し、爽やかな風が心地良い。夏特有の命溢れる草木の薫り、生気漲る澄んだ空気が肺の中を満 たしていく。 せつなは目を閉じ、それらを全身で感じ取る。 そして、一言、感慨深くつぶやいた。 「本当に、ここに立つことができたのね」 「ほんとうにって?」 「ラビリンスのイースだった頃、一度だけここで、みんなと一緒に踊る夢を見たの」 「わたしたちと?」 「ええ、ラブも美希もブッキーも。そして、ミユキさんに指導してもらっていた」 静かに、淡々と、感情を込めずにせつなは語る。 それでも、時々声が震えてしまうのは隠すことができなかった。きっと、それは歓喜の震えなんだろう。 ほんと、図々しいわよね。そう、自嘲気味に笑って締めくくった。 みんなも、もう分かっていた。せつなは、ずっと前からみんなの知るせつなであったことを。 そして、もう一つ。一見物静かなせつなの胸の奥には、真っ赤に燃えたぎる情熱の炎があることを。 「さあ、明日までに基本を一つでもマスターして、ミユキさんを驚かせちゃおう!」 「始めはゆっくりでいいからね、せつなちゃん」 「頑張ろうね! せつな」 「ええ、ありがとう。大丈夫よ」 自信を漲らせてせつなが答える。他の何を失敗しても、これだけはモノにしてみせる。 それが、この場にせつなを立たせてくれた、ラブと美希と祈里と、そしてミユキの気持ちに応えることに なるのだから。 スタンドポジションからアティチュード、そしてアラベスク。コントラクションからリリース。 スポンジが水を吸収するかのように、せつなは次々に身に付けていく。 その動作の正確さは、最も美しいと言われる美希すら凌駕した。 「凄いよ、せつな。もうあたしより上手なんじゃ?」 「ラブ……。さすがにそれは問題があると思うわよ」 「あはは、でも、油断したらほんとうに置いていかれちゃいそう」 「ありがとう。ここまでは夢の通りね」 「そうだ! せつなのクローバー加入のお祝いに、ドーナツパーティーしようよ!」 「賛成!」 「いいね、やろうやろう!」 ラブの提案と、美希と祈里の賛成にせつなは目を丸くして驚いた。 ほんとうに、まるっきり同じ。もしかして、これも夢なんじゃないかとほっぺをつねってみた。 生々しい痛みと現実感。それが、涙が出るほどに嬉しかった。頬の痛みのせいにして、そっと目じりを拭 った。 そして、行きましょう! とせつなからラブの腕を引いて走り出した。 何もかも同じ展開なんて癪に障るから。それなら、自分から変えてやろうと思った。うんと、楽しんでや ろうと思った。 それに、最後は違う。絶対に違う。 これは夢ではないのだから。決して、覚めることはないのだから。 せつなは走る。 胸に輝くペンダントは、四つ葉ではないけれど。 もう――――儚く砕けることはない。今も、そしてこれから先も、せつなの幸せを明るく照らしてくれるのだから。 避2-690へ
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子供の頃に読んだ、シンデレラのお話。 舞踏会に行ったシンデレラの魔法は、0時の鐘で解けちゃうの。 小さかったあたしは、それがどうしても我慢できなくて。 どうして幸せな時間がすぐに終っちゃうのって、不満だった。 少し大人になった今でも、やっぱりシンデレラは、嫌い。 彼女にはハッピーエンドが待ってたけど。 あたしの恋はハッピーエンドじゃなかったから。 けど、親近感はあるのよね。 なんでかっていうと―――。 * 「……ラブ、人の話ちゃんと聞いてるの!?」 「んー?聞いてるよー、美希たん……この紅茶美味しいねー。おかわりある?」 美希たんは軽く溜息をつくと、ティーポットからあたしのカップに紅茶を注いでくれた。 「のれんに腕押し、ってこういう事なのかしら……」 「?美希たんの部屋、のれんなんか掛かってないじゃない?」 「―――そういう事だけ聞いてなくてもいいのよ!」 あたしをキツイ目で睨む美希たん。うー、コワイコワイ。 今日はダンスレッスンはお休み。学校が終って、放課後にはこないだのお詫びも兼ねて、せつなとデートでも、って思ってたのに。 学校からの帰りがけ、校門で待ち伏せしていた美希たんに捕まって、彼女の部屋へと連れて来られて。 そして、さっきからお小言を言われてるという状況なワケで。 「……大体ね、仮にもせつなというこ、恋人がいるんなら、あちこちフラフラしないで、ちゃんとあの子の傍にいてあげなきゃダメじゃない!」 「……仮に、とか失礼だよ、美希たん。せつなは、あたしの一番大事な人で……」 「じゃあなんでその大事な人が悩むような事するワケ?」 「え?分かんないの?……しょうがないなあ、もう」 正面に座ってる美希たんにオイデオイデと手招きする。 「?何よ?何か秘密でもあるの?」 怪訝そうな顔であたしへと顔を寄せ、耳を向ける美希たん。 あたしはその耳元で―――。 「ヤキモチ焼いてるせつなって、カワイイでしょ?」 「な―――――」 一瞬、美希たんは絶句して。 「何バカな事言ってるのよ!!そんな惚気話はどーでもいいの!!……それに、ラブのフラフラする癖は別にせつなと付き合い始めてからじゃないでしょ?昔からじゃないの!」 「ワハー、バレてる。さっすが美希たん!カンペキ!」 「それくらい知ってるわよ、幼馴染みなんだから!」 彼女の言葉に、あたしは少しだけ目を細める。 ―――ホントに知ってるの?美希たん。 「……とにかく、これからは行動を慎む事!いいわね?」 「えー、でもあたしとしては「みんなで幸せゲットだよ!」をスローガンに掲げてる手前………」 「……ラブのスローガンなんて知らないわよ!!それに、せつなが幸せになってないでしょ。どー考えても!」 うー…と小さく唸るあたし。返す言葉が見つからない……。 そんなあたしの様子を見て、チャンスとでも思ったのか、美希たんは畳み掛けるように続ける。 「子供の時からラブはそうなんだから!あたしとブッキーと三人で遊んでても、いつの間にか姿を消して、他の子と遊んでたりして―――。別にそれが悪いとは言わないけど、それならそうで、何か一言くらいあってもいいじゃない?!毎回あたし達に心配かけて―――」 ん―――ちょっと違う、かな。 あたしが他の子と遊んだりしてた理由は、美希たん達にあるんだから……。 元を辿ればこの悪い癖も、美希たん達のおかげで身に付いたものだし―――。 「……あたしが何度それでラブに怒っても、平然としてまた同じ事してたでしょ……ブッキーだって、自分達に責任があるんじゃないかっていつも気にして―――」 ―――スッ、っとあたしの中の温度が下がる。 ……このお話もココまでみたいね。 「……分かったってば、美希たん。これからは少し自重するようにするから。それで許してくれない?」 「本当でしょうね……どうもあたしの言葉はラブに効いてない気がするのよね。昔から、何を言ってもニコニコしてるばっかりだし……」 「そんな事ないよ~。現に今は真剣な顔してるでしょ?」 ね?と念を押すように彼女に顔を近づける。 「近いわよ!……分かったわ、じゃあ今回はこのくらいで―――」 と言いつつ、美希たんは小さく欠伸をした。 「?あれ?眠そう。珍しいねー、完璧な美希たんが」 「……ちょっとね。ここんとこ考え事があって……」 「寝不足は美容の大敵だっていつも言ってるくせに………」 「ま、あたしにも色々とあるのよ。色々と、ね」 そう言ってゴシゴシ眠そうに目を擦る美希たん。 ふ~ん、教えてくれないんだ。なんか冷たいじゃない。 コンコン、と部屋のドアを叩く音。 「……美希ィ、お友達来てるみたいだから、お菓子持って来たんだけど―――」 言いながら入ってきたのは、美希ちゃんのお母さん、レミさんだった。 「ありがとう、ママ。そこに置いておいて」 「あ、ども。お邪魔してます、おばさん」 「――――!!」 あたしを見るなり、レミさんは動きを止める。 そしていきなり――――― 「ラブちゃんじゃな~い!も~!久しぶり!!来るなら来るって言っておいてくれれば、もっといいお菓子用意しておいたのに~。冷たいんだからァ!」 ―――レミさんはあたしの肩にしなだれかかってきた。 「美希と遊ぶのもいいけどォ、たまにはアタシとも遊んでくれないとスネちゃうわよ~?今度またヘアモデル頼むからァ、その時は二人きりでェ……」 レミさんはあたしの肩に指でのの字を書きながら、艶っぽい声で囁く。 あたしはと言えば、嫌な汗をかきながら苦笑いが精一杯……。 「あ、あは、あはははははは。か、考えておきますね~」 「約束よ?じゃあ指きり!ほら手を出して……」 そんなあたし達のやり取りを、美希たんは目を点にして茫然と見つめている。 ―――でもその目に少しづつ炎が灯り始めて……。 「……ラァブゥゥ……あんたって子はァァ………!!」 「は、はは。み、美希たん、な、何かコワイ……よ?」 第二ラウンドのゴングが、今鳴らされようとしていた。 * 子供の頃、あたし達はいつも三人で遊んでた。 でも、ある時、あたしは気付いてしまったんだ。 三人でいても、一人ぼっちになってしまう時があるって。 勿論二人はそんなつもり無いんだろうし、あたしもそれを口や態度に出した事は無いけど。 だからあたしは、二人から離れて、他の子と遊ぶようになったの。 それは嫌いになったとか、心配させようとか、そういう事じゃなかったけど。 とはいえ、他の子に目移りしたワケでもなくて。 だって、あたしにはあなたしか―――蒼乃美希しか見えてなかったもの。 * 秋も深まり、日が落ちるのも早まったようで、窓の外はもう真っ暗だった。 顔を下に向け、反省した素振りをしたまま、あたしはそれをちらっと横目で確認する。 (……もう遅いし、せつな心配してるかな……) 真偽はともかくとして、あたしは美希たんにレミさんとは何も無いという事を説明するのに必死だった。 美希たんは美希たんで、さすがに身内にまで火の手が回ってるとは思っていなかったらしく、それはもう心を鬼にするどころか、形相まで鬼のようにしてあたしを追求してきて……。 それでもお互い一歩も譲らず(美希たん優勢だったけど)、お互いに疲労しきって無言、という状態が続いていた。 (ココは意を決して、美希たんにとりあえずごめんなさいと言うしかないか―――) そんな情けない覚悟を決めると、あたしは思い切って顔を上げる。 「美希たん、あのね―――――ってアレ?」 顔を上げたあたしの目に映ったのは。 テーブルに頬杖をついてうたた寝している美希たんの姿だった。 ズッ、とコケるあたし―――この数分間の緊張はなんだったの……。 大きく溜息をつくと、立ち上がり、美希たんの後ろへ回りこむ。 室内だからって、美希たんは薄手のワンピースしか着てないし、なんだか寒そう。 「おーい、美希たーんてば!おーい!」 声をかけてみても、彼女は何の反応もなくて。 ただその口からは、すーすーという寝息が聞こえてくるのみ。 「困ったモンだよねー、美希たんにも。怒るだけ怒って寝ちゃうなんてさー」 呆れたように言って立ち上がると、あたしは美希たんの背後へと回る。 換気の為に開けてある窓を閉めて、毛布でもかけてあげなきゃ、と思った矢先。 美希たんの髪の毛の隙間から覗く白いうなじが見えて―――。 「………ホント、困ったモンね」 そう言ってあたしは美希たんのそばへしゃがみ込む。 「―――美希たんってば!そんなカッコでこんなトコで寝てたら―――」 「――――……食べちゃう、よ?」 彼女の耳元で小さく囁くと、そのままあたしは正座している美希たんの脇を両足で挟むようにして腰を下ろした。 そして静かに、そっと両手を回し、彼女を抱きしめる。 「美希たんの髪、すごくいい匂い―――」 肩に顔を乗せ、彼女の香りを楽しみつつ、優しく話し掛ける。 子供の頃から知っているはずなのに、こんなに近くで嗅ぐ美希たんの匂いは、濃厚で、少しずつあたしの理性を狂わせていくよう。 サラサラ、と青く綺麗な髪を指で梳かすと、起こさないように、と細心の注意を払いつつ、彼女の首筋へと舌を伸ばす。 「ん…うん……」 首筋を軽く舐め上げると、美希たんは寝息とは違う声を漏らした。 「……感じちゃった?美希たんってここが弱いんだね~」 つい面白くなってしまって、ちゅっ、ちゅっ、と首から肩へとキスの雨を降らせると、その度に美希たんは短くカワイイ声を上げる。 「あ……ん…うんっ……んん……」 「……あは。美希たんそんな声出すんだ……やらしい」 普段の彼女からは想像もつかないようなその声で、あたしも段々変な気持ちになってきて。 「う、うん……ん……」 「まいったなー。……ちょっとした悪戯するだけのつもりだったのに……スイッチ入っちゃった」 前に回した手を、美希たんの胸へと移動させる。 服の上からでも形の良い事が分かる、彼女のふくらみ。 それを軽く撫で擦ると、少しだけ強くその頂を中指で刺激する。 「―――ふぁっ……」 途端に彼女は今までより大きな吐息をついた。 気のせいか、頬もさっきより紅潮してきているみたい。 もっとも、あたしの方もさっきからずっと顔に熱を感じていた。心臓もバクバクと脈打っていて、今にも破裂しちゃいそう。 それは、美希たんが目を覚ますんじゃないかってスリルだけじゃなくて、子供の頃から見てきた幼馴染みの―――憧れだった彼女を思いのままに出来るっていう興奮、そして、これがもしせつなにバレたら、って いう罪悪感の入り乱れた、複雑な高揚感。 (―――浮気だったらせつなは怒るけど、ちょっぴり本気だったらどうなるんだろ) 答えは分かってる―――あたしは彼女を失ってしまうだろう。一番大切なせつなを。 ううん、それどころか、きっと何もかも失ってしまう。 けど、この行為を止められない。止める事が出来ない。 あたしの意思とは最早関係無く、指は少しでも美希たんの感触を味わおうと彼女の胸を這い回っている。 「ゴメンね、美希たん。―――でも、あたしのこの悪い癖ってもともと美希たんのせいでついたんだから…責任、取ってね?」 自分勝手な謝罪の言葉を呟き、胸を弄んでいた左手を、彼女の内腿へと移動させる。 部屋は寒いって言ってもいいのに、美希たんの生肌は熱を帯びて、汗ばんでいた。 「―――あたしの指で興奮しちゃったんだ?眠ってるクセに……エッチな美希たん」 いやらしく彼女の内腿を撫で擦るあたしの指。 「あ……はぁ……はぁんッ……」 まるであたしを誘惑しているかのように、彼女の吐息も、いつの間にか激しいものに変わっている。 あたしの息も、彼女に合わせるかのように荒くなってきていた。 「……はぁ……ねぇ、美希たん……こんな事したことある?……それとも、あたしが初めて?……だったら―――嬉しいな」 彼女の顔を自分の方へと向け、舌で唇を優しく愛撫する。 その合図で、眠っているはずなのに、美希たんはあたしの行為を受け入れるかのように口を開いて。 そのまま舌を絡ませ、恋人同士のように深くキスを交わした。 (今はあたしの、あたしだけの美希たん………) 美希たんが目を覚ましたら―――なんて考えはすでにあたしの中から吹き飛んでいて、指も舌も、遠慮を忘れて大胆に、淫らにダンスを踊り続ける。 「美希たん、好き……子供の頃、ずっとずっと好きだったの……あたしも、あたしの事も見て―――」 一方的な愛の言葉を囁くと、あたしは美希たんの内腿を触っていた指を、彼女のスカートの奥へと進ませる。彼女の、一番敏感な部分へ。 「……ぁんッ……」 下着の布越しにでも、そこはしっとりと湿り気を帯びていて。 それを確認したあたしの指は、獲物を前に歓喜した蜘蛛のように、下着の中へと―――。 パサッ。 閉め忘れた窓から風でも吹き込んだのか、机の上からテーブルへ、一枚のメモが飛んで来た。 それが目に入ったあたしは――――――。 * ホントの理由はね―――二人きりになれるから。 あたしを叱るあなたと、二人きりに。 それが嬉しくて、何回お説教されても、あたしは同じ事繰り返したっけ。 おかげで……それが癖になっちゃったけどね。 短くても、怒られても、あたしにとってはそれは楽しくて、かけがえの無い時間だった。 まるで―――シンデレラの舞踏会みたいに。 * 「ん……あ、あれ?あたし眠っちゃってた?」 目を擦りながら、まだ眠そうに身を起こした美希たんは、あたしに尋ねた。 「……グッスリお休みでした。お客さんがいるのにヒドイよね~」 「本当?……あれ?ラブ、毛布かけてくれたの?……ゴメンね」 自分にかけられた毛布に気付いて、美希たんは少し申し訳無さそうに言う。 「やっぱり生活リズム少しでも崩すと調子悪いわ……。起こしてくれても良かったのに」 「……何やっても起きるような感じじゃなかったけどね。起きてくれても良かったケド」 「?何?変な言い方」 そう言って軽く伸びをする美希たん。 その様子を見ながら、あたしはさっき言えなかった事を口に出す。 「それで、お説教タイムはもう終わり?そろそろ帰らないとせつなが心配しちゃうんだけど」 「―――そういう事気にするんなら、違う事でも心配させないようにしなさいよね」 「あは~、自重します、って誓ったじゃない」 「……どこまで本当なんだか……またいつ他の子に手を出すことやら……」 「大丈夫だってば。信用してくれないの?美希たん……」 しおらしく言いながら心の中で舌を出す。実はもう……なんて言ったらどんな顔するんだろ。 「はいはい。じゃあ信用するわよ、ママの事も含めて。気をつけなさいよ?」 「美希たんこそ気をつけたら?―――こんな事ばっかり考えて、寝不足にならないように」 さっき飛んで来たメモを美希たんの前にチラつかせながら、にはは~とあたしは笑った。 それを目にした途端、真っ赤になり、あたしの手からメモを奪い取る美希たん。 「みみみ、見たのね?!これ!!」 「じっくりと拝見させていただきました~。初々しいよね~、カワイイとこあるんだから」 「ウルサイわね!!……内緒にしといてよ!?」 「ハ~イ」 生返事をしながら、まるであたしのように、さっきまでは熱かったのに、今ではすっかり冷え切ってしまった 紅茶を口に運ぶ。 (結局また、最後はこうなるのよね) 美希たんの手にある一枚のメモ用紙。 それには、美希たんの考えた、ブッキーとの初デートのプランがびっしりと書き込まれていて―――。 * でも、あなたの口にする名前で、いつもあたしにかかった魔法は解けて。 その度に悲しい思いをしたっけ。 あなたがその名前を口にする時、あたしに怒ってても、すごく優しい目に変わるの。 あなたは自分で気付いてたのかな? 鈴を鳴らされて涎を垂らす犬じゃないけど。 あたしもその名前を見たり聞いたりした途端に、覚めてしまうよう調教されたみたい。 悔しいけど、あなたが好きなのは、子供の時から彼女だもんね。 彼女―――――山吹祈里。 「……ブッキー、か……」 美希たんの家からの帰り道、あたしは一人で歩きながら昔の事を思い出していた。 切なくて苦い、子供の頃の初恋の記憶。 ―――けど、今回はブッキーに感謝すべきなのかな?全部失くしちゃうかもしれなかったし。 なんか勿体無いような気もするけど。 「―――初デート、楽しみだね、美希たん」 ホント、楽しみ。 彼女達は気付くだろうか。あたしの、ちょっとした悪戯に。 美希たんの首の後ろに、強く赤く残された、あたしからの置き土産に。 「―――ガラスの靴じゃなくてご愁傷様~。……これくらいは許されるよね?」 ブッキーが美希たんを許してくれるのかは、別として……ね。 その時は美希たん、どうするんだろ。 恋人に叱られるあたしの気持ちが、少しは分かってくれるといいけど。 「まあいいじゃない、美希たん……ヤキモチ焼いてるブッキーも、カワイイかもよ?」 呟いて、クルリ、とその場でターン。 ――――ま、それなりに楽しい時間だったかな? 一方通行だった分、シンデレラの舞踏会には叶わないかも知れないけど。 でもねシンデレラ、あなたより幸せな事だってあるんだから。 「―――せつな、今帰るね。待ってて」 イジワルなお継母さんやお義姉さん達の待っている所じゃなくて。 大好きな人の待っている、暖かい場所へ。 せつなの作ってくれているであろう夕食に思いを馳せながら、あたしは家へと足を速めた。 了 9-12は後日談完結編になります。